AC主義者。アンチコズミック主義者。この宇宙を否定し、グノーシアが導いた先の真なる宇宙にゆくことを夢見る人間たちだ。
あれを初めて見たときには、私は乗員で、ラキオも乗員だった。
その時のラキオは、AC主義者を否定した。
私はそれに納得した。
この宇宙をやたらと否定して、行き先の分からない船に乗り込むような真似はきっとラキオはしないだろう。
夕里子やコメットもしなさそう。
今この瞬間なにかやりとげる事に精一杯になる人間たちがアンチコズミックを謳うことを、どうも現実ではないように感じていた。
ある時、私がグノーシアの時だった。
夕里子がエンジニアを騙り、私がドクターに手を挙げようかと思案している間に、SQとラキオが名乗り出た。
おや、と思った。
SQもラキオもグノーシアではない。それであれば、どちらかがAC主義者だ。
先に述べた理由から、なんとなくSQのことをAC主義者と見積もってしばし見ていたが、どうもラキオの挙動がおかしい。
ラキオは、らしくもなく緊張しているようだった。
私から見てもそうなのだ。
コメットがすぐに気づいてラキオに疑いをかけた。
が、もし彼がAC主義者なのであれば、ラキオは私の味方だ。私は助け舟を出した。
いつものように、目の上に光を乗せて、ラキオを信じているよと微笑んだ。だいぶ上手くなったものだ。
コメットは不満そうだったが、しげみちやシピが私になびいて頷いてくれた。
目に見える支持を得たからか、ラキオは少々調子を取り戻し、そりゃ当然、偽物はSQなんだからねと高らかに笑った。
その夜、私は夕里子と二人、彼女に割りあてられた部屋のベッドで座り込んでいた。
少々底知れず、恐ろしいところはあるが、私は彼女を嫌っていない。彼女のほうはわからないが、今回はグノーシア仲間でもある。だから、拒まれはしない。
それをいい事に居座って話をすることにしていた。
「今日は誰を消そうか?」
「好きになさい」
「まあ、そう言うよね」
あの人を消そう、と提案を寄越す人もいるが、大半のグノーシア汚染者は選択権を他人に寄越す。
未だ残された人間性に揺れる者、単に自陣営の責任を負いたくない者、単に私の信頼度を高く見積っているから任せたい者。
理由は様々だが、最終的な決定権はいつも私にある。
今回の場合は、嬉しいことにおそらく夕里子は私に信頼を置いている。
任せてくれているのだろう。
「それじゃあ、私の考えている候補を言います。ステラかオトメ」
「ふむ。それであれば、ステラでしょう。オトメは今日の様子を見る限り……明日勝手に凍ります」
「だよね。ありがとう」
ポーンとアナウンスの音がして、空間転移が迫っていることをLeviが伝えた。
「それじゃ、また明日」
返事は返ってこない。
気になって振り返ると、私が振り返ることを見越していたらしく、夕里子は片手を上げて軽く揺らしていた。
「短い別れですこと。また明日とは滑稽な挨拶でした」
「念の為だよ」
夕里子と連れ立って二人、止まった時の中を歩く。
グチャグチャした色彩の中、お互いの声だけがする。
コメットもいつかこの空間が好きだと言っていた。その感覚はよく理解できた。
この妙な空間、グノーシアになった私は好ましく思っている。
静かだ。何もない。命の気配と、静けさと、サイケデリックな色彩、薄暗さ。
それに仲間とだけ話せる世界はシンプルに心地よかった。
それにしたって、なんでこの空間でドアは普通に開くんだろう。
実はLeviってこっちの味方なんじゃないか?乗っ取ると従順だし……
「何を考えている?早く触れなさい」
「はーい」
そんなLeviの端末に手を伸ばし、ベッドに乗り上げて頬に触れる。
擬知体の端末は人間そっくり、いや、もはや人間そのもので、触れると心地よい温度だ。
美しいつくりのその頬は、少々残念ながら捲れ、膨れ上がっていく。
「良い旅を」
最初にグノーシアになったとき、ラキオが口にしていた言葉。
人を消すのか、と少し顔をしかめていた私の胸に、やけにしっくりきたこの言葉。
共にセツの頬に触れて、あの子が呟いた不思議な言葉だ。
あれ以来、私はグノーシアになる度に思う。
消えたこの子たちは、きっと私に導かれて行くのだ。どこか、ここよりも良いところへ。
少なくとも、今この瞬間はそう確信している。
私たちのそばから離れる代わりに、この子たちは異なる形の幸せへ向かうのだ。
さて、私は自慢じゃないが、皆に対してそれなりに影響力を持っている。
頭を使うのは得意ではないが、ループと経験値を重ねている。
だからセツに次いで議論を回したり、皆の性格に寄り添った動きをすることが出来る。
それに今は夕里子が味方してくれているのだ……今回の勝利は比較的、簡単だったと言えよう。
ジョナスが眠りについて、私たちの勝利が確定した。振り返るとセツは眉を寄せ、ラキオはなんだか感慨深そうにジョナスが眠ったポッドを見つめていた。
「やっぱり君たちだったか……」
夕里子と私が正体を明かすと、セツは深々とため息をついた。
まあ、わかっていたのだろう。
だが、ここに残ったのはただの乗員のセツと、私と、夕里子と、そしてラキオだ。
投票というシステムの下、こうなってしまってはセツはどうしようもない。
今回は私たちが上手だった。
「へへ、悪かったね。まあ、すぐ迎えに行くから明日までゆっくりしてくれ」
「ああ。そうさせてもらう……」
夕里子も、セツと私がどこか通じ合っていることは分かっているようで、セツに手出ししないで見送ってくれた。
それから、「悪くありませんでした」。
そう言い残して去った。また展望ラウンジで星でも見に行くのだろう。
残ったのはその言葉の余韻と、たっぷりの凍った乗員たちと、ラキオと、私だ。
「今回はありがとう、アンチ・コズミック主義者」
華美な衣服と化粧の下の、案外幼い丸い目が、ゆっくり瞬いた。明るい、地球のような青色の目が揺れるばかりで、言葉は紡がれない。珍しい。
まだループの気配がないものだから、私はそのままラキオを見ていた。
こうしていると子猫でも相手取ったかのようだ。
「……グノーシア」
喋りだしたての子供のように、ぽつりとさみしい言葉遣い。
まるでラキオじゃないみたい。
他の宇宙のラキオとは別物だ。どうみてもさみしそうで、どうみても不安そう。
アンチ・コズミックの看板を掲げるに至るまで、この子に何があったのだろう。
「僕は……」
俯かれると、身長差のせいでふわふわの青い羽根しか見えない。
覗き込もうかと思ったが、やめた。
「僕は、これから、消えるの?」
顔は上がらない。表情は伺えない。
ただただ私の直感だけが、この子の声から心に満ちた寂しさを伝えていた。
「私はどちらでも。夕里子次第かな」
「僕は、……ああ、わかったよ」
きれいな細い指で、ヘッドホンもどきが外された。
音声会話が苦手なこともあり、ラキオはそれをめったに外さない。
外すときは、そう、気の置けない仲の人が部屋着の彼に会いに来た時くらい。
「ひとつ聞かせて、グノーシア。僕は、役に立ってた?」
かわいそうに、ブルーの目がすっかり潤んでいる。
この子がこんなに自信を無くすほどの出来事が、この宇宙では起きたのだろう。
今すぐ抱きしめるなり、撫でるなりしたかったが、急に触れては驚くに違いない。
情緒よりも思考を重んじる彼の為、私はなるべくこの心がそのまま届くように、言葉を選んだ。
「うん。私は嘘をつくのはともかく、嘘を考えるのは、得意じゃないから。とても助かった、役に立ってくれたよ。私に決定権があれば、ずっと先まで連れていきたいくらいさ」
素直に述べると、笑顔なのか、なんなのか。
ラキオは口を引き結び、目を眩しそうに細めた。
「そう。か。僕は役に立ったンだ」
ぽつ、とラキオは事実を繰り返した。
そして安堵しきった顔で、今度こそ微笑んだ。
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